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Rinshoken

山川 民夫 中島信吾著

 山川民夫がワイシャツの袖をめくったら、あらわれた腕一面にケロイドがあった。 これは彼が学生時代に出会った大爆発事故で負傷した跡である。この傷がもとで 彼の将来の進路が決まった。あの爆発事故がなければ、人生は大きく違っていた だろう。
 時は敗戦まで二年余の1943(昭和18)年。山本五十六連合艦隊司令長官が 四月十八日にラバウルからゼロ戦六機に護衛され、ブーゲンビル島上空にさしかか ったところでアメリカ軍機に待ち伏せに会い戦死、戦況はいよいよ逼迫していた。
 その年の七月三十日正午過ぎ、東京帝国大学伝染病研究所(現医科学研究所)の 三階にあった化学部で、大音響とともに物凄い爆発事故が起きた。
 同学部の三年生だった山川民夫が夏休み中に有機合成実験を手伝い、パラアミノ酸 を大量に作ろうとして、無水クロム酸とパラニトロトルエンを100グラムずつ 混ぜたところ、一度に大量を入れ過ぎ突然爆発したのである。
 山川は体の三分の一に大火傷をし、三、四日も意識不明という惨事になった。
 全身に包帯を巻かれ死線をさまよった。手の皮が全部むけ、治っても瘢痕るいるい、 いまだに残るケロイドのすさまじさで、外科実習のため石鹸で手をごしごし洗う こともできなくなった。そのため徴兵検査も丙となり、戦争に行かなかった、と いうより行けなかった。
 生真面目な性格だったので悔しい思いもあったが、本人は回顧しながら、
「いま思えば、出征していたら確実に戦死してましたね」 
と笑う。
 このときまで決めかねていた将来の進路を、臨床医学ではなく基礎医学をやろう とはっきり決めた。
 東京臨床医学総合研究所の鈴木明が書いている。
「山川の研究手段が一貫して有機化学を基礎にしたものであったこと、それによって、 新たなパラダイムを築くことができたことを考えると、この事故は負の要素にはなら ず、本人の方向性をより確固たるものにしたと想像される」
 思わぬ事故で志が決まったが、爆発事故のお陰で以来実験が慎重になった。
 医学部を卒業するとすぐ東大の伝染病研究所に入り、二十三年間在籍したのち、 十六年間医学部生化学の教授をつとめ、定年退職後、東京都臨床医学総合研究所の 所長をつとめた。
 彼は最初につとめた伝染病研究所で薬学の浅野三千三研究室に入り、有機化学研究 を五年つとめた。この五年間の歳月が、その後の研究に自信をもって使える自分の 刀を研ぎ澄ます時期だったのだと、今にして思うのである。
 今の医科学研究所は日本でももっとも古い研究所で、北里柴三郎博士のために 作られ、1899(明治32)年、内務省所管となった。のち1914(大正3) 年に文部省へ移った歴史を持つ。創設当時はもっとも国民生活を脅かした伝染病の 対策として目的のはっきりした機関であり、行政に密着したものだった。
 しかし第二次世界大戦後、化学療法や抗生物質の出現と、公衆衛生の普及、栄養 状態改善などの結果、伝染病の脅威は著しく減少した。伝研にいる研究者も別な 目標を探し、特にガンなど重要な疾患の研究に目を向けざるを得なくなった。 この結果、伝染病研究所を廃止し、医科学研究所を創設するということで再出発し たのである。山川は改革の中心の一人だった。
 三菱生命科学研究所名誉所長だった故江上不二夫はいった。
「山川さんは将来の医学研究のために化学を学ばねばならないと考えた。数年の 実習研究の後に自分のテーマを選んだ。東大伝染病研究所で廃棄される大量のウマ の赤血球に目をつけた。赤血球膜に種特異性を示す何かがあるかもしれない。 それを研究しよう」
 それがライフワークになった。
「幻と言われた糖脂質の化学構造の訂正など、個々の問題に対しての態度からも、 具体的な教示をえることができる。そして研究というものは、一つの出発点から 着実に掘り進めると、道は広く広く多方面に開かれることを教えている」 
 1950(昭和25)年当時、捨てられていたウマの血餅に目をつけたのが きっかけだった。当時、東大伝染研究所はジフテリアや破傷風の抗血清をウマで 製造していた。この中でも、血清をとった残りの血餅にはだれも見向きもしない。 彼はそのときのことを書いている。
 「私はみんなと違い、ちょっとひねくれて赤血球膜を研究課題に取り上げた」
 糖の化学の研究が本格的になったのは今世紀も半ばごろだが、そのころ山川は 初めて脳以外の部分、赤血球膜に糖脂質を発見している。
 間もなくヒト赤血球膜にある糖脂質がABO式血液型を決めること、赤血球膜 の糖脂質は動物の種が違うとそれぞれ構造が異なることを見いだした。糖脂質が 「細胞の顔」の一つであることを初めて示したのだ。
 「糖脂質物語」という山川著の本がある。
 難しそうな表題で、一般にはなじみが薄いが、生化学のうちでもとくに複雑で わかりにくい物質群を取り扱ったもので、しかもカメの甲のような構造式が、 見慣れない化学物質名とともにいたるところに出てくる。普通にはとても読み物風 には取り扱えないのだが、山川は文章を縦書きし、ちゃんと読みやすくしている。
 山川は何でも進んで興味を持つ。
 東京都臨床医学研究所、略して臨床研究所長時代には、往復するJRの中で文庫 本を読みふけっていた。藤沢周平、山本周五郎、池波正太郎などの時代小説や 推理小説が好きだ。
 そんな風だから文章も練れて分かりやすい。
 「糖脂質物語」も、これを読むと彼の研究とその周辺がよくわかる。ちなみに テレビもふたつつけて、一度に野球とドラマとゴルフを見るほどだ。
 山川は思う。
「日本の学術を振り返って見ると、技術的な面では世界の水準には直ちに追いつく のだが、独創的・原理的な点では未だしの感を免れない。だから識者は基礎科学の 振興を叫び続けている。どうも日本には自然科学の伝統の浅さというか、行政側 にも研究者にも問題があるのではなかろうか」
 医学部生化学教授を定年退職して後、山川は臨床研究所長を九年と、東京薬科 大学学長を四年勤めた。この臨床研で若い優秀な研究者を集めて成果が上り、 Rinshokenというローマ字が世界に通用するようになった。
 「一体、よい研究者とは何か」
 それはそれまでにない新しい感覚で、斬新な方法を用いて研究し、得られた成果 が同時代または後進の人々の研究を刺激し、欲を言えばそれらの人々のために奉仕 するような人間像が研究者の理想ではないか。流行と進歩に幻惑されることなく、 若い間に基礎をしっかり固めて得意わざを身につけることが、いつの時代でも 重要なことであり、やるべきことである。その一念でRinshokenを世界に 冠たるものとしたのである。
 研究者のピークは、スポーツと同じく二十五歳から四十歳までで自分の限界を 知るのも必要だと説く。その言に見るごとく、山川の研究はすばらしかったし、 引き際も見事である。
 山川は1921(大正10)年十月十九日に仙台で生まれた。
 父(章太郎)は香川県高松出身である。東京帝大医学部を経て二十八歳で東北 帝大の前身である医専内科教授になった。のち東北帝大第三内科初代教授として 二十五年余り過ごした。その父について、旧制二中二十七回卒業の住友不動産 相談役、安藤太郎がいう。
 「昔は山川先生に脈をとってもらっただけで治ったんだぜ」
 故人となったが兄邦夫も仙台二中出身で順天堂大学内科の教授という医者一家で ある。
 ひとつ上の姉、斎藤道子(朝日新聞の大熊由紀子論説委員の母)によれば、山川 は幼いころからあまえんぼうでかわいらしく、小学校に入るころまで、
「宮様」
と呼ばれていたという。
 「いつでもわたしのうしろにくっついていたものです」
と道子。勉強もきらいで漢字も覚えようとしないほどだったが、
「旧制中学校に入ってから持ち直しました」
 旧二中時代の山川は四人兄弟の三人目で、学校でもガリ勉肌ではなかったと自分 で書いている。しかし、教える側に責任があったようだ。
 教師の一人が権威主義者だった。山川はそんな権柄づくめがなにより嫌いだった。
 もっとくわしい話を山川が、それでも婉曲に同窓会誌へ書いたことがある。
 山川が二中四年のとき、日支事変が始まり、何人かの教師が応召した。追廻練兵 場での兵士の壮行会で、山川たちのクラスが打ち振っていた日の丸の小旗で、 列の前に立っていた某先生の頭をふざけて叩いた。
 それを見ていたMという国粋主義者の教師が問題にして、組長であった山川の 責任だと突然校長室に呼び出され、一週間の停学を命ぜられた。
 復校後も、M教師はいつまでも山川に厳しく当り授業中廊下に立たせた。山川は 二中が嫌いになり、懸命に勉強して、四年から二高に入学した。内申書の修身の 点数はひどかった。
 終戦後、その国粋主義者の教師が共産党に入党したとの風の便りに聞いた。そんな ことだった。 
 学会の流行にとらわれず、わき目もふらずに自分しかできない独自なものを一途に 追求するという気風は常に変わらない。然し門下生には干渉しない。
 いまは妻と二人暮らし。花鳥風月を愛する身軽な立場だ。
 教授定年頃からはじめたゴルフに熱心で、年間に四十回は出かける。厳冬でも 欠かさない。八十人ものゴルフ仲間(研究者が大部分)の世話をやく。研究だけ が人生ではないぞという相変わらずの活躍ぶりである。


略歴

1921(大正10)年10月21日、仙台市生まれ。
仙台二中三十九回生、旧制二高、東大医学部卒業。
生化学。
名誉教授、日本学士院会員、日本生化学会長、東京都臨床医学総合研究所長、
東京薬科大学長。
医学博士。
学士院賞、東京都文化賞、朝日賞。



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